Breezin'

オタクSEの日常のノウハウやチラ裏

不合格ギリギリで修士論文を提出して卒業から3年経った今、当時の自分へ送るエール

最近ずっと更新をサボっていました。

この時期になると研究カテゴリへのアクセスが増加し検索ワードに不穏な単語が並ぶので、いつの世も大学院生は苦しんでいるのだなと実感します。

しかしながら、ネットの海にはエリート院生のキラキラした言葉や教職員の精神論が目立ち、研究がうまく行かない/手に付かない院生の嘆きは行き場をなくし漂うばかりです。

そんな中、以下の記事は当時そこそこ反応をいただきました。

plst.hatenablog.com

社会人になって3年が経ち、色々な人の話を聞いたり仕事で経験を積んだことで、新しいフラットな視点で当時の状況を考察することができました。

そこで、当時の自分へ向けた上から目線の慰めおよびアドバイスとして、現在思うことを書き散らそうと思います。

おことわり

  • TL;DR 時間のない人は目次だけ読んでおけばよいです。
  • 本記事は筆者の狭い経験に基づく主観で書かれたものであり、組織・分野によって大きく異なります。
  • エリート院生や教職員には向きません。

今の会社で働いていて思うこと

研究室ではレベルの高いことを求められていた

それなりの大企業に勤めていても思うのが、当時は相当レベルの高いことを求められていたなという点です。

anond.hatelabo.jp

上のエントリが有名ですが、研究室で当たり前にやらされていたけど、会社に入って「若いのにできるのすごい」「速い」と言われたことって結構あります。

助教・准教は研究の方向性に関する話や資料レビューについては親切に面倒を見てくれましたが、
研究に必要な環境(Linuxサーバ)の設定・言語知識・実装方法・データ整理/可視化の方法・OfficeやTeXの使い方などの基礎知識は基本的に自分で全て調べろというスタンスで、自分もそれが当然だと思っていました。

ゼミで「これをやろうとしてますが、このエラーで現在詰まっている状況です」を説明したところ「実装上の課題をこの場に持ってくんな。自分で解決してこい」と教授に怒られたこともありました。

また、スケジュールや稼働管理等も個人の自主性に任せるというお題目のもとあってないようなもので、締切直前には実施内容のスコープが増大し続け、徹夜でデータを出して盛り込んだ挙句「資料が分かりづらい」と言われる環境でした。


そんな研究室を卒業し、会社に入ったら、最初に待っていたのはあくびが出るようなLinuxの操作方法や言語のHello worldに始まる充実した研修です。

現場に配属されたらすべての作業はWBSとissueで管理・可視化。
開発環境構築に始まり、プロジェクト概要や技術スタックのキャッチアップも必要作業として工数が積まれています。
トレーナーがつき細かな作業方法も質問できる環境下で、成果物はみっちりコードレビュー。
仕様変更や追加作業が発生する際は工数の議論がちゃんと発生します。

そんな環境下で、「もうできたの?」と褒めてもらえる。かなり衝撃を受けました。

今思うと研究室では、

挑んでいたようなものだなと思います。

もちろん会社によっても異なり、相当恵まれていると自覚していますが、

  • 個人の業績が重要であり、所属人材の成長に責任を追わない組織
  • プロジェクトを成功させるためにチームのパフォーマンスが重要であり、人材へ投資する必要がある組織

の構造の違いが大きな要因であり、会社の方がしっかり育成してもらえる傾向があると思います。


教授の「社会で通用しない」は真っ赤な嘘である

研究室を悪く書いていますが、自分にただ「合わなかった」のもありますし、当時は仮病でサボったり一夜漬けで乗り切るなど、褒められた院生ではなかったのも事実です。

ゼミに間に合わなくて休んでしまったり、分からなくて対応できないことに対して教授が「そんなんじゃ社会じゃ通用しないよ」と言うたびにメンタルを削られていました。

結論から言うとそんなことはありません。

朝が弱く1限に行けない学生でしたが、出勤は1週間で慣れました。
お金をくれる組織に指示されれば生活のためにやるだけですし、習慣化すれば何ともないです。

むしろ仕事のことは勤務時間にだけ考えれば良いので、実験レポートやゼミ準備に休日を潰されたり精神を削られていた学生時代より楽かもしれません。

また、割と社会って適当でも回っていることを実感しました。

気分が乗らない時に体調が悪いと言って休んでも仕事は回りますし、何かを忘れてても謝って対応すれば問題なく済む事が多いです。
もちろん程度問題で、普段の信用や仕事の重要度にもよりますが、みな不真面目さを適度に出して生活しています。

学歴のために進学したが研究にやる気が出ない人や、やる気はあるがサボり癖が抜けない人を「邪魔だから大学院へ来るな」と批判するのはまあわかりますが、
「社会で通用しない」は的外れな言葉だと思います。そもそも大学から出たことのない人が何を語ってるの?って感じです。



当時の自分へ伝えたいこと

修論は努力賞」は事実である

クソ論文で卒業した身として「修論は努力賞」だと自信を持って言えます。

本当に不合格となり留年した人の話も聞きましたが、落とされる人は提出2週間以上前に指導教授から呼び出されストップがかかります。

修士論文審査で、提出して本審査に進めたにもかかわらず落とされた事例をまだ1つも聞いていません。
頑張っているポーズを見せ、規定のフォーマットに従っているそれっぽいものを仕立て、審査担当の准教に指導してもらっているうちはまず大丈夫です。

「追い出したくても流石に審査で庇えない」レベルの人にギリギリで指導してくれるほど先生も暇ではありません。

大学や研究の権威が大事な方々はこの不都合な言葉を批判するので、本当に不安な毎日だと思いますが、道は開けます。
最悪の想像をしてもしょうがないので、楽観して手を動かしましょう。大丈夫です。


人格と論文を切り離せ

ゼミやレビューで決して褒められることなく否定され続けてつらい毎日だと思います。
このつらさは何故起こるのでしょうか? それは自分の努力や能力自体が否定されているように感じるからです。

理系では「人格批判と内容批判は別物」だとよく言われます。
教授達が「モノの品質を高めるために忌憚のない意見を出しているだけ」だと思っていても、自分の感情はそう簡単に割り切れないでしょう。

ではどうやって感情をコントロールするのか?
論文を自分の分身や我が子のように思わないことです。

感情移入せずに「卒業に必要な規定の成果物」をロボットのごとく生産し、指摘は神妙な顔して聞き入れながら、心の底で自分自身には関係のないことだと思っておいてください。

一切の思い入れを捨ててしまえば感情も動きません。
目的を遂行するための部品として研ぎ澄まされた兵士になれ。


(適切な範囲で)薬に頼れ

精神状態が本当に大変なら薬を活用したほうがいいです。

もちろん乱用するのは良くないですが、40度の熱が出ているのに解熱剤を飲まない人がいないように、精神不調は下手すると命に関わります。特に睡眠は大事です。

寝付けない、起き上がれない、ぼーっとして作業に手がつけられない、教授が怖くて家から出られない、これらは全部甘えじゃなくて脳が悲鳴を上げている証拠です。

精神科は訪問するハードルが高いので、普通の内科や大学の保健管理センターを活用しましょう。
「研究がつらくて不安で寝付けない」と言えばリーゼやマイスリーを出してくれるはずです。
これが本当に効きます。

病院へ行っている暇がないのであれば市販薬や個人輸入を活用しましょう。
ドラッグストアでセントジョーンズワートを買うか、Amazonでフェニビュートを買いましょう。
特にフェニビュートは効きます。
少し時間はかかりますが、オオサカ堂でルネスタ等の規制対象でない処方薬を個人輸入するのも手です。


本当に無理になったら辞めても良い

実感しづらいと思いますが、大学院を中退しても別に人生は終わりません。

仕事で関わるメンバはレベルの高い方々が多いですが、大学名や院卒・学部卒を普段意識することはありません。
浪人・留年・空白期間を持っている人も珍しくありません。

内定持ちなら、卒業できないことが確定した段階で、学部卒第二新卒扱いで入社を許してくれないか交渉すれば良いです。
向こうも春前に辞退されるのは痛いので、案外なんとかなるかもしれません。

人事出身の部長と話したところ、「今までに事例はないけど、欲しい人材ならあり」と言っていました。

それに、上述しましたがあなたは会社から見たら本当にレベルの高い個人プレーをしています。
再度就活をすれば働く先は見つかりますし、何なら内定先より良い場所かもしれません。
留年してその場所に留まらなくても、新しい世界は開けます。


最後に

あの当時は今考えても大変だったし、終わったら道は開けるよ!という内容でした。
今現在悩んでいる院生の気を楽にする一助となれば幸いです。