北海道ツーリングの話。(2)
久しぶりの文章欲に任せて深夜テンションで書き散らしていたら、書きたい主題が二転三転した挙句記事が肥大化してしまった。
前回の続き。
悪天候で流石に疲労を隠せなくなってきたある日、オホーツク海沿岸の某ライダーハウスにおいて、ある21歳の青年に会った。
彼をS君としよう。
S君は九州住みで、聞くと自転車で日本一周中だと言う。
興味をそそられて外に出てみると、彼のクロスバイクはかなり使い込まれていながらも駆動部だけはしっかりと手入れされており、荷物のパッキングも洗練されていた。
一目で旅慣れていると理解した。
流石数ヶ月かけて全国を回っているだけあるなと感じた。
しかしながら、S君に惹かれたのは、自転車日本一周中というステータスだけではなかった。
今まで会った自転車旅行者にない只者ならぬ雰囲気を感じたのだ。
1. 旅に出る理由
長距離旅行中の大学生には何回も会っていたが、あくまで皆友人との思い出の1ページとか、就活のネタとか、そういった他者的な理由で旅している人が多かった。
中には、宗谷岬において、旅行に出てからの日数をホワイトボードに書き、写真映りを気にして何度も写真を撮り直しているチャリダーもいた。
(あの碑の前はいつもカメラ待ちで行列が出来ているのだが...周りのことはあまり気にしてないっぽかった)
ブログやSNSに上げてアクセス数を稼ぐためなのか知らないが、それはそれで一つの現代的な旅の手法なのかもしれない。
そういう人々を見て、私は言葉にできない違和感や疑問を心に抱いていたのである。
旅ってそういうものなのか?と。
もちろん自分にもそういう面があることは否定できない。
友人と知らない場所に行ってワイワイするのは楽しい。
写真をTwitterに上げていいねが沢山つくのは嬉しい。
就活のESや面接で海外旅行ネタを振ることができるのは楽だ。
でも、私が旅に出る動機はどこまで行っても自己的だという確信だけはある。
・知らない場所に行きたいのか?(世界を広げたいのか?)
・ネットで上がっているような絶景写真を自分の生の体験として味わいたいのか?
・日常から逃避したいのか?
・とにかく動いていないと安心できないのか?
要素要素を言い訳がましく表現することは簡単である。
しかし、全体として一言で表現しようとしようとすると、雲を掴むようにどうも要領を得ない。分からない。
最近では旅に出る理由を探すために旅している感じもする。
※昔はそれこそ他者的な理由付けがないと旅行すらできなかったんだから(お伊勢参りとか)、こんなどうでも良いことを考えられるのは現代社会の恩恵なのかもしれない。
2. 日本一周チャリダーの「旅」
閑話休題。
S君は、一言で言うと、他者を気にせぬ旅をしている人特有の迫力があった。
あまり周りを気にせぬ髭モジャの顔に似合わぬ温和な表情。
飄々としていて掴みどころがないものの、行動的な若者に似つかわしくないどっしりとした落ち着きを持っていた。
旅疲れた無気力な沈没者とも違い、静かに好奇心を滲ませながらこれからのルート計画を語ってくれた。
私は、S君の旅そのものよりは、旅の姿勢に興味が湧いた。
「少し飲みませんか?前から自転車日本一周の人に話聞いてみたかったんですよね」
人見知り気味の自分に驚くほど自然に言葉が出てきた。
別棟へ移り、セイコーマートで買ったガラナサワーを煽りながら数時間に渡って話をした。
聞くところによると、S君は高校を中退して数年働いた後、職場を辞めて日本一周の旅に出たらしい。
「全然凄くないっすよ。現状ただのニートっすよ。ハハ」
笑みを浮かべて自嘲する姿には、謙遜は見えても後悔は全く見えなかった。
日本海側を何ヶ月もかけて自走で北上してきて、周った都道府県は既に半分近くらしい。
各地の名所の話・宿の話・1日の行動・金銭面の話まで、話は多岐に及んだ。
旅人の端の端の端くれとして、旅を日常とする彼の話を隅々まで吸収したかった。
しかし「何故旅を続けるんですか?」と直接的に聞く勇気は最後まで出なかった。
言葉の端々から何となく自分なりに組み立てはしたが、結局わからずじまいだった。
地元に来たら飯奢るから連絡してくれと約束をし、ラインを交換して別れたものの、結局あれから連絡はきていない。
刹那的な出会いにおける社交辞令ということで、もう既に通り過ぎてしまったのか?
まだ東北を南下中なのか?
それともまだ北海道にいて、鮭加工のバイトでもやって路銀を稼いでいるのか?
分からない。
旅人という属性を捨て去って日常に埋没してしまった自分から、輝いている彼に連絡を取るのは気が引ける。
しかし、彼が旅を続ける理由や、何ヶ月もかけて日本全国を回って得た答えなどは聞けるものなら聞いてみたい。
考えたら疲れた。久しぶりに深夜特急でも読破しようか。